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ストーンズはデビュー盤に不満だった
ローリング・ストーンズのデビュー・シングル「カム・オン」はイギリスで1963年6月7日にリリースされた。これはチャック・ベリーのカヴァー曲であった。
彼らはこのデビュー曲の選択には、いささか不満があった。
彼らはロックンロール以上にR&Bに心酔していたからだ。
そもそもバンド名自体がブルースマン、マディ・ウォーターズの曲「Rollin' Stone」から取っているぐらいである。
売れてからの話だが、彼らはマディ・ウォーターズとの一夜限りの共演を果たしている。このことは以下のコラムで書いた通りだ。
キース・リチャーズの回想によれば、当時はシングルでそこそこヒットを飛ばさない限りアルバムは出せない環境だった。それぐらいアルバムを出せるのは特別な者たちに限られていたのだ。
そして多くの、アルバムを出せなかったバンドが、デビュー・シングルを出してからちょうど2年後に活動に終止符を打っていた。
それぐらいレコードを出すということには、重い意味があった。
だから彼らストーンズのマネジメントをしていたアンドリュー・ルーグ・オールダムが売るための戦略としてその曲を選んだのだった。しかしメンバーは後悔していた。
キースはそのシングルを、二度と聴きたくもないレコードだと吐き捨てている。
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ミックの奨学金で家賃を
当時の売れる前のローリング・ストーンズは、当然経済的には困っていた。
なにせ、大学生だったミック・ジャガーは国から奨学金をもらい、それを資金源にキース・リチャーズとブライアン・ジョーンズが一緒に暮らすアパートメントの家賃を払っていたほどである。
ローリング・ストーンズのシングル「カム・オン」は彼らの迷いも手伝ってか、発売3ヶ月後にどうにか全英チャートの22位までは辿りついったものの、そこまでだった。
そしてその時、全英チャートの1位に颯爽と躍り出てきたのは、ビートルズの「シー・ラブズ・ユー」であった。
ビートルズとはもちろん顔見知り以上の関係であり、バンドとしてはライバルでもあったが、お互いの演奏を聴きにクラブに通い合う交流もあった。
ミックは売れてきても謙虚さを忘れないビートルズに好感を抱いており、特に心遣いが肌理細やかなジョン・レノンを信頼していた。
それまで1位だったビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスの「バッド・トゥ・ミー」も実はレノン/マッカートニーが提供した楽曲だった。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであり、しかもビートルズにはロックンロール以上にR&Bのスピリットが感じられたのでストーンズのメンバーは彼らが羨ましかった。
ちなみに「バッド・トゥ・ミー」はビートルズもセルフ・カヴァーをしている。
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ポールがリンゴの歌いやすい曲を書いた
一方、人気が鰻登りの中、セカンド・アルバム を制作しているビートルズの方に目を向けよう。
ポール・マッカートニーとジョン・レノンは、音域が狭いリンゴ・スターにとって歌いやすい、デビュー・アルバムに収録した「ボーイズ」のようなオリジナルを作ろうとしていた。
ドラムを叩きながら歌えるということも視野に入れなければならなかった。
ポールはベニー・プレスマンの「Fortune Teller」 にヒントを得て、曲を書くことを思いついた。もちろん彼はそれを隠しもせず公言している。
そして、レノン/マッカートニーの共同作業というよりは、大部分がポールの手によって出来上がったのが「アイ・ウォナ・ビー・ヨア・マン」だ。
確かに「Fortune Teller」 に似ている部分もあるが、充分にビートルズのオリジナリティがある曲となっている。
R&Bフレイバーとビートルズらしさが見事にブレンドされ、リンゴのボーカルもぴったりハマっている。
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ミック・ジャガーの幸運
曲がほぼ出来上がった頃のある日、ジョンとポールは「ノーザン・ソングス」、つまりレノン/マッカートニーの楽曲の著作権を管理、出版をする会社で少し仕事をした。
その帰り、よくウィンドウ・ショッピングを楽しむその近くのチャリング・クロス・ロードにある楽器屋に向かった。そして店のウィンドウに辿り着くと、展示されているギターを眺め始めた。
折しもそこをタクシーで通りがかったのがミックジャガーとキース・リチャーズであった。
ジョンとポールに気が付いたミック・ジャガーはタクシーを止めさせ、窓から身を乗り出して二人に声を掛けた。
「君たち、何をしてるんだい?」
ジョンとポールは驚いて振り返ったが、ミックとわかると2人とも楽しげに笑った。
ジョンは言った。
「楽器を見ていたのさ。君たちはどこに行くんだい?」
「これからスタジオなんだ。このところレコーディングをしているんだよ」
ミックが答えた。
ポールが横から笑顔で言った。
「僕たちも連れてってくれないか?聴かせてくれよ!」
「それはグッド・アイデアだ」
ジョンも応じた。
そして2人はタクシーに乗り込んできた。それはローリング・ストーンズに幸運の女神が微笑んだ瞬間だった。
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車中での運命のやりとり
車中でミックが2人に言った。
「 何かいい曲をもらえないか?これというのが見つからなくて困っているんだ」
ジョンとポールは顔を見合わせて、何やらニヤリとした。どうやら同じことを考えたようだ。
怪訝そうに2人の顔を見比べるミックにポールは言った。
「リンゴのために作ったアルバムに入れる曲があるんだが、それを歌ってみるかい?」
ジョンも横で頷いている。以心伝心とはこのことか。
「えっ、いいのかい・・・そんな新曲を・・・?」
ポールは微笑んで返事に代えた。
ミックはキースと顔を見合わせた。いつもぶっきらぼうな面持ちのキースも、この時ばかりは嬉しそうだった。
「じゃ、ポール、ジョン、これからスタジオで聴かせてくれ!」
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ブレイクの足掛かり
かくしてローリング・ストーンズのセカンド・シングル「I Wanna Be Your Man」がリリースされ、11月14日に全英チャートに41位初登場を果たし、12月19日に最高位13位をマークした。
勢いづいたローリング・ストーンズは年が明けた1964年1月1日、イギリスの人気TV音楽番組「Top of The Pops」に出演し「「I Wanna Be Your Man」を披露して、大好評を博すことになる。
その翌々日には念願叶って、いよいよローリング・ストーンズのファースト・アルバム制作が始まった。
ストーンズのメンバーはこの一件でも、ビートルズに大いに触発された。そして、彼らはもうカヴァーではなく、ビートルズのように自分たちで曲を紡ぎ出して、アルバムを埋めようという思いでレコーディングに臨んだ。
出来上がったファースト・アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ』はその年の4月に発売され、5月2日にはライバルであり恩人でもあるビートルズの『ウィズ・ザ・ビートルズ』を追い落として1位になり、12週間その座を守った。
※アルバム『With The Beatles』フル・プレイリスト
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