或る物書きの英語喉と小説まみれのジャズな日々

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ケネディ暗殺の日2ndアルバムを出したビートルズは希望を失う米青年達の心を救った

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ビートルズ画像 

 

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1963年11月22日に起こった3つの重大な出来事

 

イギリスでビートルズのセカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』がリリースされたのは1963年11月22日である。

 

ファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』が成功した要因のひとつ「ライブ感」を引き続き保ちつつも、さらなるクオリティの向上が見られるアルバムだ。

 

セカンド・アルバムは12月7日に、30週連続トップを維持した自分たちの『プリーズ・プリーズ・ミー』を押しのけて全英ヒットチャート1位を獲得し、翌1964年5月まで21週間連続で1位の座を守った。

 

※ 『ウィズ・ザ・ビートルズ』フル・プレイリスト

 

 

同じ日にアメリカと日本では、日米間での通信衛星を使った衛星中継によるテレビ電送実験がおこなわれ、民間にも放送された。

 

当時は「衛星中継」ではなく、「宇宙中継」と呼ばれていた。

 

実験放送が成功したのちには、ケネディ大統領からの祝福のメッセージが届く・・・はずであった。ところが、リアルタイムでアメリカから海を越えて伝えられたのは驚くべき事件であった。

 

1963年11月22日、遊説中の第35代アメリカ合衆国大統領であるジョン・F・ケネディがテキサス州ダラスをパレード中、現地時間12時30分に銃撃され死亡したという知らせが、衛星放送で伝えられた最初の一報だったのだ。

 

  

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 大統領の訃報に全世界が震撼

 

将来を期待された若き大統領ケネディ暗殺のニュースは、驚きと深い悲しみとともに全世界を駆け巡った。

 

ちなみに、犯人と思しき人物リー・ハーヴェイ・オズワルドは、事件から1時間後に逮捕された。しかし2日後にダラス警察署の地下室で、何とTV中継中にナイトクラブのオーナー、ジャック・ルビーなる者に銃撃され死亡した。

 

そして多くの謎を孕んだまま捜査に終止符が打たれた。半世紀を経てもなお不可解さが残り、陰謀説を含めて未だなお様々な憶測が飛び交う事件である。

 

日本には奇しくもテレビ伝送実験において事件の詳細が伝えられ、日本の視聴者に大きな衝撃を与えた。訃報を伝える毎日放送北米支局の前田治郎記者から発せられた内容は、以下の通りである。

 

日米宇宙中継という輝かしい試みの電波に乗せて、悲しいニュースをお伝えしなければならない事を残念に思います。アメリカ合衆国第35代ジョン・F・ケネディ大統領は11月22日、日本時間11月23日午前4時、テキサス州ダラス市において銃弾に撃たれ死亡しました。

引用元:.wikipedia  ケネディ大統領暗殺事件

 

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若者のケネディロス

 

ケネディ大統領には政敵も多くいたし、スキャンダルもなくはなかったが(マリリン・モンローとのロマンス等)が、それでも人望は厚く、多くのアメリカ国民老若男女に慕われていた。

 

十代から二十代の若者の多くも、ケネディ大統領がアメリカの自由と平和と発展を導いてくれると願っていた。今までにないほど国民の期待を一身に集めた若き大統領だった。

 

それゆえ、この事件が国民に与えた衝撃は計り知れないものであった。若者達が未来の希望を失ってしまう、ケネディロスの状態に陥るのも無理はなかったのだ。

 

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颯爽と登場した平和の旗手 

 

ケネディ暗殺の年、1963年の12月26日、アメリカにてビートルズのシングル盤「I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)」がキャピトル・レコードから、予定していた発売日から繰り上げてリリースされた。

  

 

なぜ繰り上げたのか?

実は一部のローカルラジオ局がビートルズのイギリスでの評判から当然興味を持ち、イギリス盤をラジオで流したところ大いに反響があったのである。評判がエスカレートして無視できなくなり、キャピタル・レコードは慌ただしく予定を繰り上げたのだ。

 

1963年も暮れようとする頃、アメリカではケネディ大統領の死によって希望を失った自由と平和を求める若者たちの心は打ちひしがれていた。

 

そこへ彼らの心の隙間を埋めて、自由と平和と愛のパワーで満たしてくれるビートルズという新しいヒーローが現れたのだ。乾いた土に水が染み込むように、ビートルズ・サウンドは彼らの心を潤し、腰を上げさせ、舞を舞わせた。

 

発売後のビートルズ人気は燎原の火のように広がり、広大なアメリカのあちらこちらでブレイクしてゆき、翌1964年の1月18にとうとう全米チャートのトップに輝いた。

 

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人気TV番組に出演で世界が視野に

 

尋常ではないビートルズ熱はメディアをも驚かせた。そしてついにアメリカで最も有名なTVバラエティ番組「エド・サリヴァン・ショー」に招待されたのだ。

 

放送日は2月9日、演奏した曲は、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「オール・マイ・ラヴィング」「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」で、「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」以外は全部オリジナルである。

 

大反響のためその後も16日、23日と3週連続で招待されることとなった。

  

  

 

番組では溌剌とした自由奔放な4人の若者が、最高に素敵な音楽を自作自演した。これを見た多くの若者が音楽に目覚めたり、音楽ならずとも、何かを始めたくなった。

 

イギリスとドイツなどの欧州の一部でしか売れていなかったビートルズは、アメリカの若者の心に新しい息吹を吹き込み、圧倒的にその名を轟かせたことにより、一気に世界スケールのスーパーアーティストへの道を歩み始めた。

 

 

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