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『陪審法廷』 人が人を裁く重さを人生の元手を注ぎ込み描く傑作小説

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5年ほど前に、この楡周平の読み応えある小説「陪審法廷」を読み終わった時、胸の奥からこみ上げる熱いものをこらえ切れなかった。そして思った。もし自分が将来において、「裁判員」に選任されるようなことがあれば、その時はもう一度この一書を深く読み返そう・・・冷めやらぬ興奮とともに心でそう誓った記憶は今でも鮮やかだ。

 

裁判員制度導入の前に問題提起の一石を投じた作品

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日本版の陪審員制度とも言える、国民参加の裁判員制度が導入される前に発表された作品だが、それを意識して執筆されたのはまず間違いないだろう。

 

物語は終身刑か無罪かという、第一級殺人罪で裁かれる日本人少年研一の事件を軸に描かれる。

 

アメリカのフロリダ州で、義父に3年間に渡り凌辱を受けていた少女パメラからのやむにやまれぬ告白により、彼女に想いを寄せていた研一が激しい義憤に駆られ、その義父に向けて拳銃のトリガーを引いて殺害してしまうのだ。

 

裁きの場に立たされる研一と、少女パメラはともに15歳だ。

 

この小説にはモチーフとなった事件がある。アメリカで起こった、ある少年が性的虐待を受けていたガールフレンドのために、彼女の父親を殺害した事件だ。その事件では少年に終身刑の判決が下された。 

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国際経験豊富な作者だからこそ描ける複雑に絡み合った状況

 

この小説は実際の事件と根本的な構図は同じだが、ディテールは異なるフィクションだ。

 

中米からの不法入国や在米邦人の立場、孤児を養子として受け入れることなど、事件を複雑にするさまざまな状況に彩られ、迷路のような人間関係が緻密に描かれて、裁きの「場」の深さや重さを際立たせる。

 

この辺りは、ビジネスマン時代の国際経験が豊かな楡周平の真骨頂と言えるだろう。

 

少年が犯行に至るまでの要素も一筋縄ではいかない。

 

老人医療専門の内科医である少年の父親が、日本の医療システムに疑問を持っていて、折よくアメリカの知人から打診されたフロリダの病院で働く要請を受け、少年とともに渡米する。

  

体格のよい現地の同年代の少年たちに、馬鹿にされたり虐められることを潔しとしない彼は、なめられないようにフルコンタクトの空手を習い始め、肉体を改造してゆく。

 

その中で、一部のプロレスラーやボディビルダーが使うステロイドを筋肉増強のために高濃度で使用するまでに至る。

 

これが犯行当時の心神状態や人格に影響を与えているかも知れないことも、事件を複雑にする要因のひとつになっている。 

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 薄幸なパメラが夢見て来た自由の国が突き付けた現実は?

 

一方少女パメラは、本来は中米グアテマラ共和国のスラム街のストリートチルドレンだった。アメリカに不法入国をして当局に保護されるも、未成年ゆえに強制送還はされず、収容施設へ送られることになる。

 

そして10歳の時に、後に研一に殺害される外科医クレイトン・クロフォードの家に養子として迎えられる。

 

看護師であるクロフォード夫人リサは根っからの善人であり、パメラを海よりも深い愛で受け入れ、実母でもかくあろうかと思えるほどに、心から慈しんでくれた。

 

しかし、12歳の時に養父クレイトンに凌辱され、それが繰り返されることになる。 

 

殺したいほどクレイトンを憎むようになる一方で、養母には深い愛を抱いているパメラは、リサに打ち明ければ家庭は崩壊するであろうし、リサの二重の悲哀と落胆を想像すると打ち明けることができなかった。

 

自分さえ我慢すればよい・・・そういう状態が3年も続いていたのだ。クレイトンは医師なので、巧妙にいかなる証拠も残さないよう周到に、そして執拗に凌辱を繰り返す。まるで悪魔のように。

 

スラムで育った少女パメラが、安息と希望を求めて4800kmもの長旅をしてまで自由の国と信じてアメリカへ来たのに、待っていたのは天国なんかじゃなく地獄そのものだったのだ。 

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二重三重に深く入り組んだ苦悩の迷路の中で研一は・・・

 

事情を知った研一は呻吟する。15才の少女がもし法的手段に訴えたところで、相手は狡知に長けた小賢しい大人であり医師でもあるのだ。いかようにも尻尾をつかませないようにするはずだから、パメラに勝ち目はないように思える。

 

敗訴すれば、パメラは汚名を着せられたうえに、住む場所もなくすことになる。

 

このままだと、少なくとも3年後に彼女が大学に進学するまでは、この地獄が続くであろう。研一には、到底それを傍観することはできなかった。自分の手でパメラを悪魔の手から解放するしか、彼女の幸せはない・・・。

 

このような背景で起こった殺人事件なので、犯行事実は紛れもないものだが、検察と弁護側の熾烈な戦いが展開されることになる。

 

何より市民から選任された12人の陪審員たちは、このような複雑な事件に大いに悩むことになり、議論を尽くす。

 

このあたりの法廷での検察と弁護側の応酬や、陪審員たちの真摯な話し合いはとてつもなく、熱い。深い。

 

陪審員の大半は有罪を主張するが、少数派はこれはある種の正当防衛だという論旨を展開する。どこまでいっても、結論はまとまらない。

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陪審員に選任された平凡な主婦の人生初の大いなる発言

  

いかんともし難い膠着状態に一石を投じたのが、事件に誠実に向き合い、懊悩の果てに生まれて初めて決然と意見を表明した、由紀枝テンプルという、アメリカ人を夫に持つこと以外は極めて平凡な60歳の日本人主婦であった。

 

彼女は、人生の最終段階を故郷で暮らしたいと考えた、夫である日本文化研究者の故郷フロリダへやって来て、その地で人生初の陪審員として召喚されたのだ。

 

彼女は、判例に照らせば容易に結論を導き出せる裁判に、わざわざ法律に関して素人である市民を呼び出して、時間をかけて判断させることの意味を全員に、真摯に問い掛け始めた。

 

そこからどう展開するか、これ以上は書かない。

 

ただ冒頭に述べたように、読み終えた時に熱いものがこみあげ、人間というものの荘厳で深淵な部分に触れた気がした。

 

だからこそ、もし裁判員に選任されることがあったら、必ず読み返そうと誓ったのだ。いや、このコラムを書いている途中から・・・もう待てなくなってきた・・・。

 

すぐに読み返したい衝動に、今、私は駆られている。

 

 

   

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