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【完全版】ジェントルマンの意味に潜む近代スーツ誕生秘話と現代スーツへの変遷

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筆者はかつての本業、紳士服業界が長かったので、あまり知られていないテーラードスーツの誕生秘話や現代スーツに至る流れについて、俯瞰的にまとめてみた。テーラードスーツとは、ビスポークテーラー(英国の仕立て屋)で仕立てられるタイプのいわゆる背広型の洋服の事を指す。

 

スーツ姿画像

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E5%BA%83

なぜスーツの形は200年間もほとんど変わらないのか?

 

現代においてスーツもしくはメンズスーツと言えばテーラードスーツを意味する。では、テーラードスーツ(以下スーツ)における、歴史の中でのデザインの変遷と、スーツを着る精神的ならびに文化的背景という二つの面から語りたい。

 

まずはデザインの変遷から見るスーツの誕生について。

 

スーツは洋服の中で、20世紀初頭からほとんど基本形を変えないで、世紀を超えて愛されてきたという、恐ろしいほどのロングセラーアイテムだ。ではそのスーツ・・・いわゆる紳士服とはそもそも何だろう? 

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スーツがスーツとしての命を得る背景には、英国の貴族文化が存在する。貴族は華麗なる身嗜みを自らに義務付けていた。だからこそ瀟洒な服で身を飾っていた。乗馬にも、狩猟にも、そして戦地に赴く時もそれは変わらない。乗馬服や狩猟服、軍服などがスーツに通じる理由はそういうことだ。

 

スーツの源流は16世紀ごろの英国の貴族や軍人(ただしその中の指揮官はやはり貴族)が着たフロックコートだ。ちなみにコート(coat)とは上着のことで、ジャケットを指す。日本人が言うコートは欧米ではオーバーコート(コートの上に羽織るコート)と呼ばれる。

 

18世紀ごろにフロックコートから変化して、貴族のライフスタイルに応じた服が生まれる。午前の日課の散歩の際に、足を動かしやすいようにフロントを大きくカットしたものがモーニングコートとなった。

 

午後の日課である乗馬のために、馬に乗りやすいように前身頃の丈をベストのように極端に短くしたテールコート(燕尾服またはイブニングとも呼ばれる)が生まれた。

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貴族は午前の散歩や午後の乗馬の着衣のまま宮廷に上がる。よって、昼食会やお茶の時間にモーニング、晩餐会や舞踏会にテールコートが正装となった。ちなみに「ホワイトタイ」とはテールコートを指す。

 

 しかしモーニングもテールコートも、正装とはいえ屋外着だ。テールコートの代用として19世紀に、室内向けに燕尾のないディナージャケットが生まれた。

 

略式の正装(準礼装)としてのタキシードの誕生だ。ブラックタイと呼ばれ、イブニングが廃れるのと相まって、次第に実質的な正装の位置づけに格上げされた。

 

そして19世紀の後半、ディナーの後にラウンジ(スモーキングルーム)で男性同士で寛ぐシチュエーションにおいて、軍人がリラックスする時に軍服の詰襟を開くような格好の襟を持つラウンジスーツが好まれた。

 

歴史の資料で見る1900年ごろのラウンジスーツは、現在のスーツとほぼ同じデザインだ。20世紀の幕開けから現在まで、ずっと愛され続けてきたのがスーツなのだ。 

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 ここから先は、スーツを着ることの哲学的な面から深く掘り下げてゆくことにする。

 

英国は昔も今も階級社会だ。上流階級・中流階級・労働者階級にはっきりと分かれ、階級によって棲む場所すら違う。上流階級はカントリーサイド、つまり大自然がある田舎で暮らし、中流階級(中産階級)は郊外に暮らす。労働者階級は都心部に暮らす。

 

例外もあるし、また近年には移民などのこともあり、事情は変化しつつあるが、それでも基本形はそうなってる。しかし上流階級の人間が労働者階級を見下すということではない。また、労働者階級も上流階級に対して卑屈になるわけでもない。お互いに棲む世界が違うと認識し、お互いの役割を認め敬意を持っているのだ。

 

19世紀中盤以降の英国における上流階級とは、王侯貴族ならびに「ジェントリー」と呼ばれる、爵位はなくとも社会的に認められた地方の有力者である大地主(領主)を指す。大地主たちは貴族ではないので中流階級なのだが、15世紀ごろから経済力を持ち始めると、貴族への憧れを持ち始める。 

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 18世紀ごろは貴族の使うようなモノを所有し、貴族のような服を着て、暮らしぶりまで貴族のようになり奉仕活動や政治あるいは戦争へ貢献し、やがて彼らはジェントリーという新しい上流階級として認められることになる。

 

ジェントリーは貴族以上の生活を可能にする富と英知と勇気を持ってはいても、出自は庶民であり中流・中産階級だ。残念ながら貴族になることはできない。そこでジェントリーが目指したものとは一体何だったのか?それは「精神の貴族」と言ってよいだろう。

 

貴族以上に知的になり、貴族以上に趣味が良い服を身につけて、貴族以上に優雅な立ち振る舞いができるように頭脳を研磨し肉体を鍛え上げていったジェントリー達。彼らは二世たちにも上流社会に出て恥じない教養を身に付けさせ、高邁な趣味、伝統を守り抜く精神、公共に奉仕する心を学ばせた。

 

「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」とは「高貴なるものの果たすべき義務」を意味し、尊い生まれの者は命を懸けてでも民衆を守る使命があるという、本来は貴族の哲学だった。 

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良き政治を目指し、戦争となれば率先して最前線で指揮を執る。だから貴族の戦死率は高かったのだ。

 

この哲学を、貴族ではないジェントリーたちが貴族以上に実践し、社会から高く評価されて民衆の誉れ、憧れの存在としての位置を確立する。

 

その結果ヴィクトリア王朝時代(1837〜1901年)には、貴族以上に貴族らしいジェントリーの集団が形成され、貴族ではなくとも上流階級として認められるようになる。

 

本来は中流・中産階級であった大地主が進化したジェントリーたちは、本物の貴族なら固執しないような日常の細やかな部分にまで流儀(fashion)をつくり、それらを極めていった。その徹底した洗練を目指す気概・生活信条・精神性はダンディ(dandy)と呼ばた。

 

ダンディなジェントリーたちの生き方を人々は敬愛の念を込めて「ジェントルマン」と呼んだ。つまり英国における紳士、ジェントルマンとは「生まれによってではなく精神と振る舞いによって貴族たらんとする人間像=ジェントリー」を指す。

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そんな彼らが好んで着用したのがラウンジスーツだ。ラウンジスーツは正装のように堅苦しくはなく着心地が良いので、室内着ながらも彼らは晴れやかに外に着て出てゆき活動する、そんな颯爽たるジェントリーの流儀(fashion)の格好良さに憧れて、民衆に広まったから現代のスーツファッションの普及があるのだ。

 

紳士の服である屋外着が正装として室内に入り、洗練されて「スーツ」になり、ジェントリーたちによって再び屋外に、ただし散歩や乗馬をする田舎ではなく、良き仕事で社会貢献するために市街地に出ていったのだ。

 

これが近代スーツの、デザイン面と文化・精神的背景からの誕生秘話だ。

 

結論付けると、「テーラードスーツ」は、中流の生まれであっても振る舞いと精神で上流として生きる証しの服なのだ。

 

一億総中流と言われる我々日本人が、スーツを颯爽と素敵に着こなす人をクールだと思えるのは、その底流に流れる「精神の貴族」を目指すストイックな生き方にダンディズムを感じてしまうからかも知れない。

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職人と工業化、量産と一張羅、相対するものが切磋琢磨

  

民衆から尊敬の目で見られていたジェントリーたち、つまり「ジェントルマン」の装いとしての、約100年前のスーツの誕生までを時間遡行した。当時はまだまだ既製服のスーツは存在しなかった。

 

上流階級である英国の貴族や指導者階級、ジェントリーたちがサヴィルロー通りに割拠するビスポークテーラー(仕立て職人の店)で服を注文していたが、その文化は今も息づいている。

 

そして次にイージーオーダーやパターンオーダーが生まれ、それから既製服につながる・・・かと思いきや、これは逆だ。既製服がイージーオーダーよりも先に生まれる。

 

実はこれに関しては諸説あるが、筆者の業界経験と知識から導き出した結論のストーリーを、あくまで参考としてここでは述べさせて頂く。

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19世紀後半、アメリカの衣料品製造販売業者「ブルックスブラザーズ」による工場でのスーツの量産が始まり、ゆったりとしたシルエットを麻袋(サック)に見立てサックスーツと呼ばれた。

 

何段階か改良が加えられ、20世紀に入ってすぐに売り出された「ナンバーワンモデル(Ⅰ型)」は空前のロングセラーとなった。

 

これは後にアメリカントラッドスーツの基本になる「ナチュラルショルダー・3ツ釦段返り・ノーダーツ・センターフックベント」という、英国スーツと対照的なディテールを持つデザインだ。

 

実はファッション性以前に、量産に向いていたデザインなのだ。

ひと口に言えば「英国文化が生んだ近代スタイルのスーツ」をアメリカらしい解釈で、より合理的なアプローチで生産し、ブルックスブラザーズは商業的に成功を収めた。

 

このデザインは、日本でもトラッド&アイビーファンに「イチガタ」の名で愛された。

 

スーツ画像

http://www.brooksbrothers.co.jp/ourstory/history/

 

当然のことながら、アメリカはもとより各先進国の衣料品製造業者たちはブルックス型アプローチで、工場の生産ラインを整えてスーツ製造に参入する。

 

良い面としては一部の特権階級のものだったスーツが、既製服として民衆が安価で手に入れて、装いを楽しむことができる時代になったことだ。

 

既製服としてのスーツは、ビジネスマンが身につける最適なファッションスタイルとして、世界を席巻していった。

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悪い面としては、仕立て職人の繊細な技やこだわりのない服がスタンダードとなってゆくことだ。

 

しかし生産技術の向上の中で、工業製品化したスーツも本来のビスポークの技術や持ち味を取り入れながらグレードを上げていった。

 

日本においても20世紀の中盤以降、第二次大戦後に訪れた平和を象徴する高度経済成長の波の中で、スーツを含めた既製服が飛躍的に普及し、多くのサラリーマンが制服のようにスーツを身につける時代が到来した。

 

そしてフルオーダー離れが始まることになる。

 

しかし英国やイタリア、日本のテーラーたちは、安価なスーツを大量に売りさばくいわゆるアパレル(既製服)メーカーたちに自分たちの仕事が奪われゆく状況を、指をくわえて傍観していたわけではない。

 

テーラーの顧客の中で依然としてフルオーダーを望む顧客は温存しつつも、サックスーツの登場以来どんどん向上した縫製工場の縫製能力を認めた上で対抗策を打ち出す。

 

テーラーが採寸して型紙を作成し、裁断した生地のパーツの縫製工程を工場に任せるというハイブリッドな手法で価格を下げることに成功した

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これがイージーオーダーの黎明だ。後には型紙作成・調整も自動裁断もCADとCAMというコンピューティングの結合によって合理化し、より効率的な生産が可能になってゆく。

 

そして今度はアパレルメーカーがイージーオーダーの発展を尻目に、既製服の生産ラインを使用して既製服のサイズオーダーを始める。

 

これがパターンオーダーの原型だ。つまり既製服で顧客のサイズの在庫がないものを別注生産するのだ。この時点ではあくまでサイズ別注に過ぎない。

 

しかし縫製工場にCAMという自動裁断システムが導入される中で、既製服での補正に相当するようないくつかのパーツの調整を、裁断時点であらかじめ反映させることができるようになり、その手法がパターンオーダーと呼ばれるようになる。

 

このようにして歴史が21世紀の門を開こうとする頃には、テーラーたちはフルオーダーとイージーオーダーを顧客によって使い分けて生きる術を見出し、アパレルメーカーは既製服の穴をパターンオーダーで埋める。

 

そうやってフルオーダーと既製服、イージーオーダー、パターンオーダーの棲み分けが進んでいって、現在の市場構造に至るのである。

 

 

 

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