或る物書きの英語喉と小説まみれのジャズな日々

  英語喉とジャズと小説をこよなく愛し、映画・アニメ・漫画・R&B・70年代ロック・Suchmosなどに眼がない或る物書きが綴る

一編一編がまるで純文学の如きエッセイ集 「なんといふ空」最相葉月

 

 

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ノンフィクション作家最相葉月のこのエッセイ集のタイトルは、自由律俳句の種田山頭火の「なんといふ空がなごやかな柚子の二つ三つ」にちなんだものだ。その言葉の選び方からして、すでに素晴らしい文学センスを感じる。

 

 ~48編のエッセイは懐かしくも切なく、そして温かい ~

 

彼女は小説家ではないが、筆者にとって彼女の書くノンフィクションは、凡庸な小説の何倍も何十倍も「物語」に引き込まれる。

 

ノンフィクション作家というと落合信彦のように、身体を張ったルポルタージュや、吉村昭のようにストイックな資料収集と現地の調査、生存する関係者へのインタビューで可能な限り再現しようとする記録小説などの印象が強かった筆者は、最相葉月の「絶対音感」を読んでひとかたならぬ衝撃を受けた。

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「絶対音感」は彼女の最初のベストセラーだが、題材となる当事者たちの心の中に深く入り込み、当事者の心の光と闇を浮き彫りにする、小説とはまた違う紛れもない「文学」を感じ取ったものだった。

  

 

彼女がインタビューなどで語ったことを総合すると、こうなる。自らも「向こう側」に行かなければ書けない、しかし向こう側にずっといても書けない。

 

向こう側を垣間見て、戻ってきて初めて客観性を持つ書き方ができるのだと。・・・凄い・・・これぞプロフェッショナルだ。

 

その気概で、日常生活の物音さえすべてが「ドレミ」で聴こえる絶対音感を持った音楽家たちに迫った。

 

とりわけ、世界的に脚光を浴びるバイオリニストの五嶋みどりと五嶋龍の姉弟の懐に深く入り、喝采の裏側に存在する彼らの常人とは異なる生活感や苦悩を掘り下げていく部分は迫力が凄い。

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その能力は音楽家に必要不可欠なのか、音楽に一体何をもたらすのかとの大命題を掲げ、一流の音楽家、科学者たち200人以上に取材を敢行して「絶対音感」を掘り下げた渾身の一書である。 

 

音楽の素養のない彼女が・・・いや、だからこそ書けたのだろう。思えばデビュー作はそれまでの人生で縁のなかった「競輪」の選手にフォーカスしたものだった。

 

自分に縁のなかったことでも、広く調べ、深く取材することでその世界観を再現してみせるこの最相葉月という作家は、そのルックスからは想像もつかない、物事の探求に関するもの凄いパワーを持っているのだなと感銘したのだ。

 

そして自分もそのような、人の心に訴えかけられる物書きになりたいと初めて思わせてくれたのが彼女であった。後に同じ大学であったこと、少なくとも一年間は在籍期間が重なっていたことを知った。 

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さて、この彼女の初期のエッセイ集を読んだのは、「絶対音感」を読んでしばらく経った頃だ。書店で目にして、「絶対音感」の興奮を思い出し、またタイトルにも惹かれ、何の予備知識もなく購入した。

 

そしてまたしても驚かされた。それぞれがショートショートのように2~3ページの短い随筆・・・エッセイを集めたものだが、これはもはやエッセイ集ではないと思った。

 

これらひとつひとつが、確かな世界観を持った文学作品だ。なかでも「わが心の町 大阪君のこと」は、わずか千二百文字でありながら、極めて良質な純文学だ。

 

その短いエッセイを基に、映画が作られたことも読んでから知った。

 

観たいとはまったく思わなかった。未だに観ていない。映画の評判は悪くなかったようだが、千二百文字に注ぎ込まれた、生きることの切なさ、素晴らしさ、寂しさ、そして温もりを、自分の中にずっと保存しておきたい、そう思ったからだ。

 

そう思わせる「千二百文字の物語」だった。