伊集院静が描く麻雀放浪記の阿佐田哲也の真の姿こそ「いねむり先生」

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急性骨髄性白血病により27歳で若くして逝った妻、女優・夏目雅子は伊集院静にとって宝珠であった。彼は病気の発覚とともに全ての仕事を止めて全力で病床の雅子に寄り添うも、運命は残酷であった。底の見えない絶望の深淵に佇み、彼はアルコール依存症となる。だが、ある人物との出会いで次第にいのちの傷が癒されゆく。

 

いねむり先生画像

〜決して癒えることのない傷さえ癒す「いねむり先生」とは〜

 

伊集院静の作風には、どのような悲惨な状況でも、人間に対する信頼が根底に横たわっている。作品によってその規模は様々ではあるけれど、ひとつひとつが「再生の物語」であると言えるだろう。

 

しかもこの作品は、他の彼の作品とは一線を画している。なぜならずばり彼自身・・・作者本人の再生の物語なのだ。

 

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作者にとってかけがえのない妻をあまりにも早く失い、彼はアルコールに身を溺れさせてゆく。

 

そんな彼、作中の「サブロー」を気にかける「Kさん」や「Iさん」。これは知っておいても読書の妨げになるどころか、知っているほうが興味深く読めると思うのであえて付け加えると「Kさん」は漫画家・黒鉄ヒロシ、「Iさん」は歌手・井上陽水なのだ。

 

Kさんは深く思うところがあり、サブローに「先生」を紹介する。「とってもチャーミングな人」という形容詞を添えて。女性を表現するチャーミングとは違ったニュアンスでの「チャーミング」だ。「先生」を知れば知るほど「チャーミング」とはまさに至高の表現であると唸らされる。

 

「先生」とは純文学作家・色川武大(いろかわ ぶだい=本名たけひろ)その人であり、別の顔はギャンブル小説家にして雀士、阿佐田哲也だ。あのベストセラー小説「麻雀放浪記」を世に出し、自らもテレビにも出演し、70年代の麻雀ブームの立役者になったひとりである。

 

若い頃は、触れれば切れるカミソリのような危険な香りを纏う美男子であったことが想像つかないぐらい、柔和で温厚で赤ちゃんのようにお腹がぷくっと膨らんだ先生は、みんなの人気者だ。

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飄々として憎めない先生は、肩書で人気があるのではない。どんな身分いかなる立場の人に対しても分け隔てせず、真っすぐに懐に飛びこむ愛すべき、屈託のないおじさんであり、カッコ良い大人なのだ。

 

そして落ち込んでいる人も先生のそばにいると、先生がとりたてて何を言うわけでもないのに、その存在の暖かさによって心が救われるのだ。

 

私はそれを、おかしな表現だが「低温やけど」のようなものと想像する。つまり、そばにいるその瞬間瞬間はわからないけれど、ずっとそばにいると途方も無く膨大で力強い熱量を与えられるのだ。

 

しかし先生には持病があった。難病であり「眠り病」とも言われる「ナルコレプシー」だ。何かをしていて突然に眠ってしまうのだ。麻雀中でも、歩いていても、それは突然襲ってくる。だから「いねむり先生」とも呼ばれるのだ。

 

先生と交友のある何人かの作家、筒井康隆や山口瞳、田辺聖子などが先生とナルコレプシーについて書いた随筆を読んで、不思議な病気があるものだと驚いた記憶がある。また、いずれの作家も、先生の慈愛の深さ、愛嬌、そして大人としてのカッコ良さを絶賛していた。

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そんな先生を、Kさんはサブローに紹介した。

 

心が荒みきったサブローと先生の交友が始まり、サブローは先生の暖かさ、気取らない優しさに触れて、心に無数に刺さっている棘が少しずつ・・・ほんの少しずつだが抜けてゆく。

 

二人はやがて「旅打ち」に出る。旅行先で気ままに競輪や麻雀を楽しむ旅だ。

 

行く先々で先生に人が寄ってくることに、サブローは感心する。相手が漁師でも、インテリでも、競輪ファンでも、ヤクザでも関係なく、先生とふれあうと故郷に帰ったような、あるいは童心に還ったような懐かしい想いに打たれてしまうのだ。そして誰もが「先生!」「先生!」と彼を囲む。

 

先生のスケールの大きい慈愛に包まれて、サブローの心は癒されて、最愛の妻の死と向き合い、徐々に前を向いて行く・・・ひとりの作家の再生の物語なのだ。

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読む人の心を打つこの小説は、漫画化と映像化がなされている。

 

漫画は「月下の棋士」「哭きの竜」で知られる「男の美学」を書かせれば実力を発揮する能條純一によって、丁寧に描かれた。

 

映像は藤原竜也主演でテレビ朝日系ドラマとして、また國村隼主演でNHK BSプレミアムにて「拝啓 色川先生」のタイトルでドラマとして制作された。

 

とりわけ前者はサブローに藤原竜也、先生に西田敏行、サブローの妻・夏目雅子に波留という、これ以上にない抜群のキャスティングで良いものに仕上がっている。 

 

いずれの仕事も原作に深い敬意を表した、素晴らしい出来映えだ。

 

そうなったのも、伊集院静のこの小説に籠めた「先生」への感謝と、その「先生」の大きい人間愛がそうさせたのだろう。

 

小説の序盤はモノクロームのような、出口の見えない暗い道を手探りで歩くような「冬」の趣きだ。中盤から少しずつ彩りが着いてきて、終盤に向かって色鮮やかな「春」のような「希望」の薫りが、静かに漂ってくる。

 

涙が涸れ果てた、その向こうにある泉に出会って、ひとりの男が自らの作家という仕事に向かって歩き出す。

 

この伊集院静が描く素晴らしくも巧みな筆致に、私は物書きの端くれとして惚れ惚れしつつ、これこそが文学の醍醐味だとも感じた。