或る物書きの英語喉と小説まみれのジャズな日々

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マイルスとコルトレーンの遺産「モード奏法」偉大なるジャズの一里塚

 

マイルスアルバム画像

 

モード奏法というのはモダン〜コンテンポラリージャズのインプロヴィゼーション(即興演奏=アドリブ)の方法論のひとつだ。ジャズ音楽の生命線は言うまでもなく、即興演奏(アドリブまたはインプロヴィゼーション)である。

  

~ジャズにコンテンポラリーな世界観への扉を開いた奏法~

 

19世紀の後半にアメリカのニューオリンズで産声を上げたジャズは、そのスタートから異民族、そして異文化が混ざり合いぶつかり合う中で成長するという、極めて自由度の高い楽団音楽だった。


やがて決まった旋律の繰り返しに飽き足らず、リードを取る楽器がフェイクと呼ばれる本来の楽曲の旋律をどんどん変化させて楽しむ手法を多用するに到った。

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それにより、演奏する側も聴く側も、同じ音楽空間を共有し楽しめる音楽として民衆の中に浸透するのには、さほど時間を要しなかった。

 

そしてブルースから生れたブルーノート(音階の第三音と第七音を半音下げることで得られる長調とも短調とも言い難い独特のブルージーな音)や中抜き三連符を使ったスィンギーなリズム、目まぐるしく変化するトーナリティ(調性)など、音楽性を高める要素を貪欲に、ふんだんに孕んでいくことになる。

 

そしてジャズの音楽性の面での発展に伴って、音楽理論に裏付けられ和声の進行や細分化もどんどん複雑になっていった。

 

ジャズ理論がひとつのジャンルとして体系立てられるほどの存在になり、アメリカのポップスや映画音楽にも欠かせない要素を持ち、音楽界で堂々たる市民権を手にするに到るのである。

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やがてジャズの命であるインプロヴィゼーションも、「感性」よりも寧ろ複雑化しゆくコードチェンジに瞬時に対応する「技術的側面」「理論的側面」が重要になっていった。

 

たしかにその功績で非常に近代的で高度な音楽性を持った音楽として、ジャズは他の音楽分野に留まらず、広く芸術全般に影響を与えるようになった。

 

一方、マイルス・デイビスやジョン・コルトレーンなどの巨匠は複雑高度な演奏が行き着くところまで行き、その反動でジャズが本来持っていた筈でありながら失われつつあったパワー、生々しい人間の「感性」、もっと言えば「魂の叫び」を吹き込もうというムーブメントが起こったのだ。

 

スウィング、つまりグレンミラーを代表とするイージーリスニング的ジャズからバップ、チャーリー・パーカーによって盛り上げられた、先鋭的に音楽性を追求するジャズ、そしてそれが行き着いたハードバップはマイルスやコルトレーン、キャノンボール・アダレイなどが圧倒的な存在感を醸し出した。

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モードジャズはその次にやってきたのだ。

 

レコードとして最初にモード奏法が陽の目を見たのは、マイルスが1958年にリリースした「MILE STONES」だ。日本語的なニュアンスは「一里塚」だが、Mile StonesはMilesのtonesとも読み替えられる。

 

 

表題曲の「MILE STONE」はモード奏法の始まりの曲であるにも関わらず、その完成度たるや普遍的な最上レベルと言える素晴らしいバージョンだ。

 

これこそジャズの一里塚であり、マイルスの音色でもあるわけだ。あれだけ「孤高」な哲人的風貌と雰囲気なのに、実は洒落っ気があるのだなとも思う。

 

そしてその翌年にリリースされた「KIND OF BLUE」はよりモーダルな世界観を確立した名盤中の名盤だ。

 

 

2019年現在のジャズシーンはコンテンポラリージャズがメインストリームだが、モード奏法無くして存在しえない音楽だ。

 

ともあれ、ジャズを芸術の域まで高めた巨匠達が、モダンジャズムーブメントの後期に悟ったものこそが、「音楽は魂で奏でるものであり理論で奏でるものではない」ということだった。

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巨匠達が複雑化した楽曲構成を捨て去り、極論で言うと楽曲全体をたった一つのコード(和音)としてとして捉え、ひとつのモードで対応し(実際は複数もある)自在に魂の叫びを音に託す行き方が「モード奏法」と呼ばれる、ジャズ史上革命的なメソッドだった。

 

わかりやすく言えばドレミファソラシドの音階が、II度マイナーの和声の時に対応するのがレから始まるレミファソラシドレという音階だ。Dドリアンスケールと呼ばれるが、構成音はドレミファソラシドと全く同じだ。

 

シンプルに言うと、それがハ長調ではなくニ短調の曲で使われると、詳細な説明をするほどの紙幅はないので割愛するが、トーナリティ(調整性=長調か短調、もしくはキーは何か)が曖昧で混沌とした、浮遊感のあるサウンドになる。

 

他にもモード(教会旋法=チャーチモード)はあり、それぞれ持ち味が違うが、概して調性が曖昧な、現代的な響きになる。

 

もちろん、そのダイアトニック音階(ドレミ)だけでは芳醇な音の彩りには欠けるので、クロマチック(半音階)やブルーノートを挟み込んだりのサジ加減あってこその、優れたインプロヴィゼーションになるのだ。

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彼らがそこに行き着いたのは如何なる偶然でもなく、音楽の真実を突きつめた果てに収斂された「必然」であり、その時に初めてジャズは、ありとあらゆる音楽の要素を吸収して無限に発展する「生への方向性」を有した音楽としての真の盤石なる礎が築かれたのだ。

 

マイルスはとてつもなく偉大であり、ジャズの巨人であり神であり、筆者ももちろん愛聴する。そして筆者はジョン・コルトレーンが、すこぶる好きだ。彼のモード奏法が堪能できるアルバムを紹介しよう。

 

※コルトレーンについてはこちらのコラムもどうぞ

 

マイルスのカルテット時代でのコルトレーンならびに師匠マイルスのモード奏法のシャワーが浴びれる「SO WHAT」も必聴盤だ。

 

 

コルトレーンのリーダーアルバムとして「IMPRESSIONS」は外せない。マイルスとはまた一味違う、スリリングなモードプレイだ。

 

 

コルトレーンがモードの進化の先に見出した「コルトレーン進行」という画期的なコード進行におけるインプロヴィゼーションで魅せた「GIANT STEPS」を聴けば、ジャズの音楽的なカッコ良さのひとつの頂点を見るような気がする。 

 

 

晩期のコルトレーンは、限りなくコンテンポラリーな飛翔を遂げていた感がある。それが音として具現化された、恐ろしいほど素朴なのにクールで深みがあって、聴くたびにうっとりし、時には鳥肌が立つ、そんなアルバム「至上の愛」だ。

 

 

マイルスやコルトレーンが試行錯誤し、体現し、発展させたモーダルなジャズフィーリングは、「モダンジャズ」の時代から変遷して現代の若いジャズプレイヤーにとってメインストリームである「コンテンポラリージャズ」の世界観に引き継がれている。


本稿で伝えたかったことは以上だ。

 

ここから先は本項とは少し離れる余談なので、そう思って読んで欲しい。

 

次元は違うけれども英語喉は、ジャズの巨匠達が和声の呪縛を解き放ち、音階の自由を手にしたモード奏法と、英語喉著者である上川一秋氏自身が身を持って体験した喉発音によって、従来の舌を丸めたり唇を緊張させたりなどの煩わしさから解放されたこととに共通する真理を私は感じる。

 

喉発音のメソッドはまるでモード奏法のように、発話の基地を喉(というか首の根元)に据えることだけで、自由に気持ちを、いや、心そのものを言葉に還元できる方法だと感じている。