或る物書きの英語喉と小説まみれのジャズな日々

  英語喉とジャズと小説をこよなく愛し、映画・アニメ・漫画・R&B・70年代ロック・Suchmosなどに眼がない或る物書きが綴る

「レディ・ジョーカー」髙村薫が描き切る現代社会の光と闇と人間群像

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髙村薫の「レディ・ジョーカー」は何度読んでも、やっぱり凄い。とにかく面白くて引き込まれ、圧倒される。一体何度読んだだろうか?筋が分かっていても肌が粟立つ小説など、なかなかお目にかかれない。高村ファンの筆者が最高傑作はどれか問われれば、迷わずに挙げられる作品だ。

  

〜彼女の最高傑作として迷わず推せる「怪物」の如き小説〜

  

筆者は石原プロによって映画化されたものは、もちろん観ていない。この渾身の長編大作を、コアなファンをがっかりさせずに2時間ほどの映画で表現できるとは到底思えなかったからだ。

 

案の定、髙村ファンからの評価は極めて低く、原作を知らない人の評価もあんまり良くなかったようだ。彼女の出世作でもある直木賞受賞作の「マークスの山」ではがっかりさせられた。あのスリリングで骨太な小説が単なる刑事ドラマになっていたのだ。

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余談だが、「マークスの山」と「レディ・ジョーカー」がWOWWOWでドラマ化されたものは、ちょっと気になったのでDVDで観た。

 

こちらは思いの外、良かった。両作品とも、原作の持ち味が随所に表現されていた。これを観て、髙村作品に向かう人がいてもおかしくない出来栄えだった。

 

さて、本題の小説「レディ・ジョーカー」に戻ろう。

 

恐ろしく濃密で硬質で綿密緻密で、無駄な贅肉がない描写と物語の展開が。この小説の醍醐味だ。好みがあるから苦手な人には駄目だろうが、骨太な小説が好きな人にはもうたまらないだろう絶対にお勧めできる大著だ。

 

かつてこの小説のハードカバー版がベストセラーに躍り出た時に、「現代版『赤と黒』だ」などと、文豪スタンダールの名作を引き合いに出して評された作品だった。

 

当時も読み始める直前までは「それはちと大袈裟では?」と思っていたものの、第一章を読むや完全にノックアウト・・・ぶっ飛んでしまった。

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そしてスタンダールを引き合いに出しても、決して大袈裟ではないと感じ入ったものだ。

 

あの「日本沈没」「日本沈没 第二部」が単なるSFパニック小説ではなく人間を描いた文学であるように、「レディ・ジョーカー」もミステリーではなく、読む者の人間としてのアイデンティティにひたひた、ずりずり、ずかずかっと迫ってくる文学だ。

 

単行本は頁が上下二段組で2巻、しかもどの頁も蟻が何千匹も這いずり回っているかの様にびっしりと文字、文字、文字で埋め尽くされている。文庫本は500頁級で3巻。私は両方、それぞ何度も通して読んでいる。

 

これから読む人には、正直どちらも素晴らしいが、改稿されて完成度がさらに上がっている文庫版三部作をお勧めする。

 

彼女(男性と勘違いしている人も意外に多い)の小説は①週刊誌(あるいは新聞)連載時②単行本化③文庫化の三段階で内容が進化する出世魚のようなシムテムになっているのだ。だいたい大幅な改稿がなされる。結構重要部分も変わっていたりする。

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それは社会情勢の変化や新しい情報によって過去の出来事の実像が修正されたりした場合、そして彼女自身の価値観の変化・・・これが最も大きい動機かも知れないが。

 

言葉の力を信じて、常により良きものを書きたいと願う彼女なりの作家としての矜持だと思う。

 

また、文化化という「廉価にして後世に残す」意味合いを重く受け止めて、いつかその本を手にする青少年にとって、人生の糧になる本をとの思いで入念に改稿するようだ。

 

しかし、よくも一人の作家があれほど多様な人間群像を、老、若、男、女、貧、富、様々な職業、立場の人たちの心理、愛憎、情念、苦悩、煩悩、挫折、妥協、諦観そしてその果ての決して安っぽくない乾いた希望、を描き切れるものだと圧倒させられ、驚かされる。

 

実際は人間だけではなく企業、警察、マスメディア、政治と裏社会などもひっくるめて「まるごと現代日本」が描かれるのだが、その全てがまた人間に収斂されてゆくのが鮮やかだ。

 

万華鏡のように繰り広げられる夥しくも生々しい幾つもの人生に、読む者は肉薄しつつ疑似体験できる。

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そういう、いわゆる文学の醍醐味の中でも最たるものを与えてくれるという部分では、かの文豪ユゴーやトルストイのように百年後には歴史に残る凄い評価を受けているのではないだろうか。

 

小説のカテゴライズの観点から言えば、到底ミステリーの範疇に収まる代物ではなく、最もクオリティを要求される「本格小説」、つまり、時代とその中での民衆のうねりを描き切る高度な物語だ。


この大著は少なくともその後に「晴子情歌」が出るまでは、彼女の堂々の最高傑作だと見る向きが多かった。しかし「晴子」は全く系統が違う物語ながら、新境地を開拓した傑作であり、人によってはそちらの方が最高傑作だとしてもおかしくない重い物語だ。

 

一人の女性「晴子」を狂言回しとした壮大な昭和叙事詩である「晴子情歌」は、三部作に広がる。続編が「新・リア王」。ここに来て物語がお得意の犯罪絡みに入って行き(しかしミステリー色なし)その流れは昭和から平成へ移る。

 

そしてオウム真理教事件をモチーフとして、時代を掘り下げた「太陽を曳く馬」で完結する。

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彼女は社会評論もするし、時折TVで意見を発信したりしている。深い洞察が伴う広い視野、広範な知識と情報の裏付けを以てズバッと(しかし飄々としてさらりと)核心を付いた発言(凡庸なコメンテーターは言わない、言えない大胆で勇気ある発言)をする。

 

だから、狭い視野や偏った情報だけで物事をジャッジする人たちには嫌われているが、そこがまたいい。そういう人たちに好かれるとしたら、偏った考え方だという烙印だからだ。彼女は謙虚ではあるけれど、決して媚びることがない。


髙村薫は今もなお、さらなる高みを目指し、言葉を紡ぎ出す作業に励んでいるようだ。