2011年9月12日、筆者が英語喉を始めてから8ヶ月めの頃、最強の実践的訓練であるMasa Radioは100回を迎えた。筆者にとっては記念すべき回なので、ゲストには英語喉のもうひとりの著者、ジーナ・ジョージさんを迎え、さらに「101回目のマサレディオ」にカズさんこと上川一秋さんを迎えた。
師匠かつ恩人「カズさん」とのMasa Radio記念セッション
思えば2011年2月19日に英語喉に出会ってから、筆者の人生は甚だしく変わってしまった。
非常にシンプルなことで言えば、大学卒業以来は使うこともなかった英語というもの、そしてほとんど縁のなかったアメリカ及び英語圏の人たち・・・これらと密接に関わっていく生活に入ったと言うことがまず、大き過ぎる違いだ。
英語再学習のきっかけはただ単に、当時の仕事の上で、地域に住む外国人たちにもアプローチをするために必要だと考えたからだ。
色々と参考書、学習書を探す中でなかなか「これだ!」と思えるものになかなか出会えなかったところ、アマゾンで「英語喉50のメソッド」を見つけてしまったのだ。
賛否両論のレビューを読むにつれて大変興味が湧き、YouTubeでカズさんや長崎の雨さん、田地悠平さん、そしてTOEIC満点講師「西宮一発音にこだわる」天満さんの喋る英語を聴いて確信を持ち、購入に至るのだ。
その辺りのくだりは前回コラムに詳しく書いてある。
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3日でネイティブの喉の響きが実感できた時の驚き
アマゾンから本が届き、練習を始めてから3日目に聴いていたCNNニュースで、突然ネイティブであるキャスターたちの「喉の響き」が洪水のように耳に流れ込んで来て驚愕した。
これが喉の音か!
そして、内容はともかく何を発音しているかがほとんどクリアに認識できたのだ。
そこから先の展開は話せば長くなるので端折ると、2ヶ月目ぐらいから言語交換サイトで知り合うネイティブにスカイプでの対話を求め、どんどんスカイプコンタクトを増やしていき、ボイスチャット(音声通話)やビデオチャット(ビデオ通話)で話す実践をした。
それがとても面白く、楽しく・・・また異文化に触れる喜びと興奮も合間って、加速度的にネイティブたちに対話を求めていった。
そして4ヶ月目にテキサスのエミリーとの初めてのMasa Radioを公開することになる。当初は「英語喉カフェ」としてクリップ内でも「THroat Cafe」として紹介していた。
エミリーとの交友については下記コラムに詳しい。
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Masa Radioの命名者は実は英語喉著者だった
アップロードした音声をカズさんが聴いてくれた。そして「わぁ、Masa Radio ですね!とてもいいですね!」と褒めてくれた瞬間から、それは筆者にとってMasa Radioになったのである。
以来半年以上に亘り、ほとんど毎日のように、Masa Radioがメインとして、他にはプラクティスやモノローグというか即興スピーチなどで英語喉の「気づき」や「コツ」や「エピソード」などを英語でしゃべってアップロードした。
余談だが、多くのネイティブ友人は即興スピーチを褒めてくれていたが、悪態をつくことで悪名高いけれどとてもいいヤツ、ラスベガスの「やさぐれブライアン」にはいつも、けちょんけちょんにけなされていた。
そんなブライアンが唯一褒めてくれたスピーチがある。当時のブログ(現在はない)で連載小説として書いていた小説「喉の旅」について喋ったものだ。
彼は日本語でメッセージを送ってきた。
「おいマサ、てめえ翻訳奴隷のくせにあのスピーチはよかったぜ。もちろん完璧じゃない。でも、あれは全体的にネイティブに近かった。特にTHRILLの発音はナイスだ。THRILLは日本人に難しい。THとRという日本人が苦手な音が連続するからだが、あれほど自然なTHRILLの発音を日本人から聴いたのは初めてだぜ」
参考までに、それは下記のスピーチだ。
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自分の英語喉学習史の記念碑としてカズ&ジーナをゲストに!
話を戻して、ネイティブとの対話であるMasa Radioだけでも137回に及んだ。その中で、やはり100回目が近づいてきた時には、色々と感慨があった。
よく続けられたなというほんの少しの達成感や、協力を惜しまないネイティブたちへの感謝、そして何より英語喉メソッド、正しくは「ネイティブメソッド」を世に出してくれたカズさんと妻君のジーナさんへの言葉にできない想いが胸に溢れていた。
だから100回目は「カズ&ジーナ」をゲストに呼ぼうと決めた。カズさんとは広島で一回、Masa Radioを収録した経緯があるので、まず100回目にジーナさん、そして101回目という新たなスタートにカズさんということも。
お二人との日程も決め、99回目をオハイオのベンと収録・公開したその日、以前にもゲストで呼んだことがあるコネティカットのアニメヲタクで機械いじりが上手なスティーブが、Masa Radioの二回目をやろうぜ、などと言ってきた。
これは困った、どうしても100回目は譲れない・・・。
そこで、苦肉の策として「Masa Radio Extra Steve Again!」として、番外編とした。番外編だから正規のMasa Radioにはカウントしないのだ。
スティーブ、すまない・・・。
緊張<歓喜の100回目と感無量の101回目
さて、いよいよ100回目は、初めて話すジーナさん。緊張はしたが歓びが勝っていた。話が尽きず、セッションは3回に及んでしまった。
なのでカズさんは通し番号では103回になるが・・・
techinically the 101st として、つまり事実上の101回目という認識で収録したのだ。実際は過去にも同じ人にっ前・後半に亘るときもあったが、それぞれでカウントしてるので、こじつけにはなるのだが、そこは許して欲しい。
100回目の締めはジーナさん、新たな始まり「101回目のマサレディオ」はやはり師匠カズさんから始めたかったのだ。
では、その事実上の101回目、聴いて頂ければ幸いである。
もう感無量であった。
これの前のジーナさんとの3回に及ぶセッションも、英語喉を体系化する時の話や彼女が日本に来た時に英語が通じなかったエピソードも聞けた。
そしてその収録日が日本では9月12日だったのだが、奇しくも向こうでは9月11日、あの9.11アメリカ同時多発テロ事件からちょうど10年の日だったので、あの日あの時のことを尋ねてみたりした。
色々と示唆に富んだ内容を語ってくれたジーナさんとのMasa Radioはまた別の機会に紹介することにする。
英語喉に出会ったおかえで自分の世界観が広がり、英語喉を広めたい一心で書いた小説「喉の旅」は、あくまで素人のブログ内での発信だったが、その執筆を通して、自分が本当にやりたい仕事は「物書き」であることを深く自覚し、それから6年後の現在は物書きを自らの生業としている。
いかに英語喉が筆者の人生に与えたものが大きいかは、まだ確定していない。このブログは別として、今まで仕事で色々書いてきたものは依頼された原稿だ。しかし来月にKindle出版予定の本は違う。
改稿されてもはや素人小説ではなくなり、世間に向けてリリースする小説「喉の旅」は、自分が本当に書きたいことなのだ。
カズさん、そしてジーナさんに感謝の意を改めて記しつつ、このコラムを閉じることにしよう。