或る物書きの英語喉と小説まみれのジャズな日々

  英語喉とジャズと小説をこよなく愛し、映画・アニメ・漫画・R&B・70年代ロック・Suchmosなどに眼がない或る物書きが綴る

スパイ小説の概念を覆し新境地を拓いた名作『ジョーカー・ゲーム』柳広司

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本画像

 

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知の巨人・佐藤優がインテリジェンス・ミステリーと命名


『ジョーカー・ゲーム』は柳広司による、日本ならではのオリジナリティ溢れるスパイ小説だ。いや、「知の巨人」と言われる、元外務省主任分析官である作家の佐藤優によれば「インテリジェンス・ミステリー」という新しい分野だと讃えている。

 

この本は連作形式、つまりある同一設定のもとでの別々のエピソードの短編集であり、全体として一つの長編としても読めるタイプの編纂パターンであり、私もその形式は割と好きである。

  

  

余談だが、この連作形式と通常の長編小説を、見事に違和感なく融合したのが横山秀夫だ。特に直木賞の選考時に色々な意味で物議を醸した、それでも名作と言える『半落ち』はその典型だと思う。

 

話を戻して、この連作の各エピソードの舞台は終戦前夜の敗色濃厚の日本、同時期のイギリス、同じくシンガポールなどだ。

実在した日本の諜報員養成機関「陸軍中野学校」をモチーフとした「D機関」のメンバーひとり一人が各短編の主人公になる。そしてすべてのメンバーの精神的な支柱である「結城中佐」が全体を通しての主人公といってよいだろう。

 

結城中佐のクールでストイックなキャラクターには、男でもぞくっとしてしまうほどダークな魅力が、それも嫌味なく自然に描かれている。また、それに近いことが各編の主人公のD機関メンバーにも言える。

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魔王こと結城中佐のクールでストイックな魅力が全開


D機関のDはデーモン、つまり悪魔の頭文字だと人々に囁かれていた。その根拠は、リーダー結城中佐が周りから畏怖の夫念を込めて魔王と呼ばれていたからだ。

 

歴史の水面下で活躍した、表面は極めてクールではあるけれど、同じ使命を共有する者たちの人間群像の長編としても読めるだろう。

 

あくまで陸軍中野学校という、歴史上の暗部とその存在意義に着目し、そこからは作者柳広司自身の想像力をもって展開された物語だが、歴史とミステリーに造詣の深い作者だけに、その筆致には迫真のリアリズムが漂う。

 

この小説には素晴らしい点が多々あるが、とりわけ感銘を受けるのは、その文章の格調の高さだ。古めかしいと感じる人もいるかも知れないが、まるで文豪の名作を読んでいるかのようだ。

 

舞台の時代背景を鑑みて、現代的な表現を廃している部分もあるのだろうが、わかり易くしようとなど一切媚びていないところが小気味良い。

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明治の文豪を敬慕してやまない作者の格調高い文章表現


思い起こせば一年半ほど前、予備知識もなく、興味深い題材という理由だけで彼の作品『ジョーカー・ゲーム』を初めて読んだのだったが、読後には感銘を受けて作者柳広司のことを調べたものだ。

 

すると文章の格調の高さの理由が見えた。かれは夏目漱石をこよなくリスペクトしているのだ。なるほど確かに様々な言い回しにおいても、夏目漱石がよく使うものが散見された。たとえば「畢竟(ひっきょう)」だ。

 

畢竟は「結局のところ」「つまるところ」的な意味だが、この言葉を私はこの小説で久しぶりに目にした。おそらく読者諸氏にとっても、あまり目にしない言葉ではないだろうか?

 

これを近いところで最後に目にしたのは、二年ほど前に読み返した夏目漱石の『三四郎』だった。漱石は小説の中で「畢竟」を多用する。だから、模倣というよりは慕う文豪の言い回しが、自らに内在化しているのだと思う。

 

また、柳広司には漱石を主人公にした創作がある。『贋作「坊っちゃん」殺人事件』や『漱石先生の事件簿』である。

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従来と違うリアルなスパイ像「死ぬな、殺すな、囚われるな」


この小説の中でのD機関の最も根本とする至上命題があり、それは「死ぬな、殺すな、囚われるな」だ。本編に曰く、スパイとはグレーリトルマンだと。灰色の小さい男・・・つまり一切目立ってはいけないのだ。

 

敵国のスパイと銃撃戦など論外の行為だとしている。窮地に陥った時には持てる全能力を稼働して、その場を切り抜けることが求められる。

 

従来の若干荒唐無稽なスパイ小説とは趣が違う。運悪く囚われた時の彼らがとる戦略、行動や心理戦略、そういう場合を見越して養成機関時代に繰り返された訓練などの描写は、スパイとは実際にはかくなる過酷な任務なのか知れないなと身震いしてしまう。

 

ミステリーあるいはエンタテインメントとして一級品だと思うが、人間の深部を描いているという意味では、文学作品だと言っても何の問題もないだろう。

 

かなり好評だったので続編も生まれ、結果的にシリーズ四部作となった。『ダブル・ジョーカー』『パラダイス・ロスト』そして『ラスト・ワルツ』で完結するが、四作ともクオリティが高く、最上級のエンタテインメントと言って過言ではない。

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スパイ小説の常識を破壊し新境地を拓きメディアミックス化


『ジョーカー・ゲーム』は好評を博し、続編も生み出され、合計四部作の大長編連作小説となる。ややメディアミックス化して、アニメ化やコミカライズ、映画化、また劇場演劇にもなった。

 

残念ながら映画は商業的にアレンジし過ぎて、まるでアニメ『ルパン三世』のような派手な活劇となっており、原作の主張するスパイのあり方の真逆・・・原作で否定されている類いのスパイイメージのものになっていた。小説の映画化は本当に難しい。

 

しかし、アニメバージョンは本当に素晴らしかった。もちろん元が漫画ではなく小説であるアニメなので、かなり大胆な省略や設定編子もなされている。

 

しかし小説の骨子である部分に深い理解と尊敬をもって制作しているのが、観るものに伝わる出来栄えであり、私の好きなアニメの中でも上位に入る。

 

興味を持たれた諸兄は、ぜひ小説『ジョーカー・ゲーム』で歴史の水面下で展開されたかも知れない本当の意味のスパイの、静かで熱い暗躍に心を踊らせるのも一興ではないだろうか。